冬の寒さを感じたら 〜アンドリュー・ワイエス−創造への道程〜

どうも、ご無沙汰しております。冬はこたつで丸くなりたいtureusaです。あぁ寒い。どうにからならないものか。しかし!寒い寒いばかり言ってられないのですよ、なぜならここ数年で一番待ち望んでいたアンドリュー・ワイエス−創造への道程がはじまったからです。

ワイエスといえば、この日記で耳にタコができるほど、いえ、むしろ耳がタコになってしまうほど何度も賞賛*1させていただいているアメリカの画家でありますが、みなさん覚えてくれておりますでしょうか。ワイエスの絵って、春のぽかぽかした雰囲気ではないんですよ。題材としている土地柄のせいもありますけど、物悲しい秋が終わりを告げ、冬の訪れをしんと待っている感じ。冬篭りの準備のような。ね、これからの季節にぴったりの展覧会でしょう?
今回の展覧会のテーマは「創造への道程」ということで、完成した約10点のテンペラ作品*2とともに、作品の着想を得てから、デッサンを重ね、作品を仕上げていくまでの習作が並べて展示されており、総点数にして実に150の作品を見ることができるんですね。日本でもそれなりに人気の画家なんですが、今回ほどの規模の展覧会は久しぶりということもあって、首を長くして待っていた次第です。もう行かずにいられようか*3
ワイエスの絵ってとても技巧的で素晴らしいのだけれど、何が心を打つかというと、やはりその目線だと思うんですね。何をキャンパスに切り取るかという。たとえば、人物像。その人の美しさをどこに見い出すか、といったとき、それはモデルを美化するため瞳を輝かせたり、肌を滑らかにするのではなく、むしろ、出品作「ページボーイ」のように、その人物が刻んできた年月を想起させるような額の血管や目尻のシワだったり、髪一本一本の痛みであったりするわけです。あるいは、風景画であれば、何の変哲もない田舎街の風景だったり、ちょっとした日用品だったり。たとえば、ワイエスは、「農場にて」という出品作に対して、それを描こうとしたきっかけは、積み上げられた薪にさす光が非常に美しかったから、といったコメントをしているけれど、たぶん彼は、それらの織りなす造形美はもとより、光を浴びている薪ひとつひとつをただの物質として捉えるのではなく、それが山から切り出され納屋に積み上げられるまでの過程、つまり人の手が介在した時間と記憶までを肌で感じ取っているんではないかと思う。自然という抗いようのない大きな力が、育み、作り上げてきた土地と、その中で非力ながらも確実に日々を営む人間とが繰り返す生と死の輪廻のようなものが、ひとときの時間の中でしたたかに共存し、融合して風景を作り上げるという美しさ。そこにワイエスの目はいつも向かっているんではないだろうか。少なくとも私は彼の作品からそう感じとっているし、だからあんなにも心に深くじんと届いてくるんだと思う。

御年91歳になってもなお創作活動をしているワイエス。今後もあの静かな土地で創作を続けていかれることを切に願います。寒さ染み入るこの季節、みなさんもワイエスのひたむきな作品で、ひとつ、冬篭りの準備をされてみてはいかがでしょうか。

*1:ここでの興奮ぶりとか、ここでの葛藤とか、ここでの感激具合とか

*2:ドライブラッシュや水彩の完成作品もありました。

*3:でも、実はわたしっていわゆる習作には興味ないんですよ、水彩がダメってわけでは無く技法に関わらず。だってひとつの作品が完成するまでの舞台裏であってしかるべきものだと思っているからです。もちろん、好きな画家の創造過程は、たいへん興味深いし、習作であっても素晴らしい作品はたくさんあります。著名な画家であればあるほどその価値は高いことも頷けます。ただ、今回は日本での久々の大きなワイエス展ですから、どちらかというと、そういうマニアックな創作過程に焦点をあてるより、純粋に完成された作品の素晴らしさを今までワイエスを知らなかった人にも広く伝えていただきたかったというか…、少なくともわたし自身は、もっとしっかり拝見したかったのが正直なところです。